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【居合】第1回「腰間秋水」

 

腰 間 秋 水 一 揮 揚

自 是 先 生 養 老 方

二 豎 多 年 侵 不 得

知 他 宝 剣 吐 龍 光

 此 居 合 之 詩

 御 一 笑 可 被 下 候

 

さて、ここに挙げた漢詩は誰がつくったものでしょうか。

次の、三者の内からお選びください。

(1)山内容堂

(2)福澤諭吉

(3)井伊直弼

 

答えをいう前に、この漢詩の意味を先に解説します。

 

腰間ノ秋水一タビ揮揚ス   腰に差した刀を一たび抜き放てば 

是レ自リ先ズ養老方ヲ生ズ  これにより先ずは老を養う健康法になるのである。

二豎多年、侵スコトヲ得ズ  私は長年、この稽古により病気になったことがないのである。

他ニ宝剣龍光ヲ吐クヲ知ル  更にこの宝剣を(ひとたび放てば剣先より)龍が光を放つ如き威力を発揮するのである。

此レ居合之詩ナリ      これは居合を漢詩にしたものです。

御一笑下サル可ク候     どうぞお笑いくだい。

※「秋水」とは「刀」の美称

※「二豎」とは「私」をへりくだった意味

 

この漢詩の作者は、福澤諭吉です。

ご存じの通り、彼は、慶応義塾の創立者で、幕末から明治期にかけて日本の近代化を推し進めた先駆者となった人物であります。彼は「脱亜入欧」を唱えるなど、当時、いわゆる「西欧かぶれ」として命を狙われることもありました。ところが、彼の精神の根幹はしっかりと武士であり、死ぬまで居合の稽古を欠かしたことはありませんでした。更に、福澤の居合の腕前は達人の域に達していたと云われています。彼の流儀は中津藩(今の大分県)に伝わる「立身新流」という流派で、現在千葉県佐倉市の無形文化財に登録されている「立身流」の分派です。彼は一日千本もの居合を抜く稽古を生涯にわたり続けていたのでした。

 

ところで、三択問題にあげたこの三人ですが、実は共通することがあります。

先ずは、ご存じの通り三人とも幕末に活躍した方々であったこと。二つ目は、全員が居合の達人であったことです。


山内容堂は、土佐藩(現在の高知県)の藩主でしたが、無双直伝英信流(私の継承している流派)の達人でした。彼の稽古は大変凄まじく、七日七夜の間休みなしで稽古を続けたことが有名で、家臣の誰も最後までついていけなかったと云われています。

最後は、井伊直弼です。彼は、ご存じの通り幕府の大老として安政の大獄を主導した人物です。桜田門外の変で浪士から急襲を受け暗殺されました。ところが彼こそが、居合の達人といえる人物でありました。彼の居合の腕前を恐れた浪士たちは、彼が籠の中にいる間に先ず拳銃で動けなくしています。弾丸は彼の腰を貫いていました。

 

井伊直弼は、当初、彦根藩の藩主となる名家の生まれですが、兄弟が多くましてや庶子だったため養子の口もなく一生「部屋住み」として、暮らしていくしかない身の上でありました。歴史の表舞台に出る前のこの間に、彼は、茶道を学び茶人としても大成しており、他に和歌、鼓、禅、兵学など多くの才能を発揮しておりました。中でも居合については、彦根藩居合師範であった河西精八郎に「新心流」を学び免許皆伝となっています。更に、そこに留まらず居合で新流派を興すべく修行を重ね、自ら「新新心流」を立ち上げたほどの居合武士でありました。

 

居合は、武芸十八般といわれる武術の一つですが、剣術とは異なる技術であり世界観があります。

居合は、技術であるとともに武士の精神や風格を育てる大事な修練法でありました。

今回ご紹介した幕末の英傑といわれるほどの武士にも愛された居合とは如何なるものであるか、これから述べていきたいと思います。

【居合】第2回へ続く

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コメント: 1
  • #1

    松田翔 (土曜日, 08 6月 2019 13:09)

    貴重なお話を聞かせて頂きありがとうございます。
    【居合】第2回に期待と興奮が冷めません。第2回楽しみにしています。